ゆうゆう、ゆりはま

ゆうゆうのひと

湯梨浜町

サラリーマンを卒業し、海に入学した。

漁師 朝日田卓朗

親戚も知人もいない湯梨浜町へ、海を職場とするため朝日田卓朗さんが関東から単身でやってきたのは2000(平成12)年、30代前半のときだった。そもそもが、コンピュータに関わる会社の社員として活躍していた。それがまたなぜ?「そうですねえ、もう人に使われるのはイヤになって、あはは」

あとさき考えず退職し、漁師になろうと決断する。どこの海にするかネットで調べ、いろんな面から考えて鳥取の海を選んだ。ここまでは、いわゆる脱サラとしてあんがい多いケースかもしれない。だが業種はともかくそうした新天地を求める試みは、現実のハードルを越えられず、夢をあきらめていくことが少なくない。朝日田さんは違った。空き家に住み、3年8ヵ月の研修期間、先輩漁師の船でみっちり学んだ。そしてついに一本立ち、自分の船(4.2トン青斗丸)を得るまでになる。さらに研修期間中、知人に紹介された県外の女性(湯梨浜町出身)との遠距離交際を重ねる。朝日田さんの誠実さに惹かれた女性は、Uターンし、共に暮らすことを決めたのだ。

「一生、ここで漁師として生きていこうと決めました」

今となれば、もはやベテランの域。おもに刺し網漁、夏には潜って岩ガキも。もちろん、仕事は甘くない。何年やってもきついときはきつい。不漁の日には泣きたくなる。

「ま、しかたないね、相手が海だから」

手ほどきしてくれた二人の先輩をはじめ、多くの人から本当によくしてもらった。これからは恩返しだ、そう考えている。