ゆうゆう、ゆりはま

ゆうゆうのひと

湯梨浜町

「なにくそ」のこころで、女性の道を切り開いてきた。

野花豊後の梅干し名人 長谷川道子

長谷川道子さんがこの地に嫁いできたのは19歳のとき。時期を同じくして、野花(のきょう)の果樹園でめざましい新種が発見された。大玉の豊かな梅。野花豊後と名づけられた。完熟すれば鶏卵ほどにもなり、果肉もしっかり分厚い。登場してきたときからすでに特産品の貫録を示していたその梅と、以後ずっと付き合ってきた。

「農業とは、工夫をして作物の力を引き出すことよ」孫たちに、いつもそう諭す。人さまができることは、自分も努力すればできる。「なにくそ、のこころが大事よね」とも。努力を惜しまないが、うまくいかなかったとしても決してくよくよしない。「なるしかならん」からだ。これぞまさしく若さの秘訣。